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自分の[母親]と[合わない]。子どもの頃から感じてきた母親に対する不満

母の子育て

自分の[母親]と、何か合わない・・・。
自分の母親なのに、なぜか気をつかってしまう・・・。

気づいていても、どうする事も出来ず、
不満だらけの方に向けて、
そのしんどさから抜け出す事が出来た、

[合わない人対策]とは?

私の経験談をおすそわけします(^^)

良妻賢母の母親なのに[合わない]と感じてしまう自分は悪い子なの?

てきぱき家事をこなす母

私の母親は、料理・お裁縫・掃除など何でも出来る上、
細かい所に気配りが出来、
子育てに関しても、優しい面と厳しい面の両方兼ね揃えている、
まさに良妻賢母という言葉がぴったりくる、そんな人です。

私を産んだ後も、保育士の仕事をしていたので、
毎日慌ただしく、時間に追われる生活だったと思いますが、
そんな忙しい中でも、敏感に色々察知してくれて、
私がちょっと顔色が悪かったり、具合が悪いと、
こっちから何も言わなくても気づいてくれる所などは、

 すごいな…何で分かるんだろ・・・

と、子ども心に、いつも感心していました。

ですが、そんな母親を[凄い]と思いながらも、
私は子どもの頃から[相性が合わない]とずっと感じていたんです。

困った表情で両手を広げる女性

自分の母親なのに、あまり好きになれなくて、

 そんな風に感じてしまう自分は、悪い子なんだろうか・・・?

 私が、おかしいの?

と、思ったりもしました。

[合わない]原因は、ものさしの違い?

不満そうな表情の少女

例えば、こんな時です。

我が家はご飯時、いつもテレビを見ながら全員揃って食事をしていたのですが、

 過去に起きた事件を掘り下げて検証したような番組

 今日のニュースをまとめた番組

などが、テレビにうつると、
有無を言わさず、勝手に違う番組に母親が替えてました。

 子どもに悪影響を与えるような番組は見せたくない

 ご飯が美味しくなくなる

と、いう理由で、そうしていたようですが、

「えー、見たいー!」

と、興味津々の私が不服な声で訴えると、

「こんなの見ても何も面白くないから、違うのにしなさい!

と、絶対にリモコンを返してはくれませんでした。

「ニュースぐらい見てもいいじゃない?」

と、言い返した事もありますが、
良いニュースはともかく、母親としては
[血生臭い悪いニュース]を視覚的に見せたくなかったようで、

「新聞読みなさい新聞!」

と、聞き入れてもらえませんでした。

イライラした表情の少女

他にも、こんな事がありました。

私は、学校から帰宅して、
その日楽しかった・面白かったと思った事を、母親に聞いてもらいたくて
話す事がありました。

「それは良かったねー」

と、共感してくれる事ももちろんありましたが、
時々、逆に怒られる事があったんです。

「何言ってんの!
 そんな事で笑ってるんじゃありません!」

驚いた表情の少女

・・・こんな風にです。

内容は思い出せないのですが、
1つだけ覚えている事があります。

 私は面白いと思ったけど、
 お母さんにとっては面白いどころか

[何でこんな事で笑ってられるのかあんたが理解出来ない]

 って事なんだ・・・

 お母さんを笑わせようと思って、話したのにな・・・

…そんな悲しかった気持ちだけが、今も記憶の隅に残っているんです・・・。

ため息をつく少女

要するに、私の中では

 これぐらい

と、いう事が、母親から見ると、

 大事(おおごと)

だったり、そのへんの

[ものさし]の違い

が、[母親]とは合わないと感じる、一番の原因でした。

この2つの例は、
どちらも、母親の立場になって考えれば、

 私が[しつけ]をしっかりしないと!

と、いう気持ちからの言葉・行動であり、
私のためを思って、そうしてくれてるんだ、という事は、子供心に分かっていました。

ですが、圧のかかった言い方をされてばかりいた当時の私は、
そういった

 子供のためを思っての母親の愛情

よりも、

 不満やイライラ

[負の感情]ばかり、母親から受け取っていました。

母親は[合わない]だけでなく[怖い]存在。そのきっかけになった[子ども時代]のとある出来事

怒りに満ちた母と、不満そうな少女

母親に関しては、[合わない]だけでなく
[怖い]という気持ちもありました。

母親は、優しい面も、もちろんありましたが、
どちらかというと、厳しく、
怒らせると、とても怖かったので、
私は小さい頃から、
なるべく母親に叱られないよう、気を付けてきました。

それは、ある出来事をきっかけに、
私の[当たり前]になったんです。

過去にさかのぼる時計

私は幼少の頃から、お友達の家に遊びに行く事が大好きで、
一旦遊びに行くと、なかなか帰る事ができず、
同居していた祖母が、
時間になっても帰って来ない私を、よく迎えに来てくれていました。

でもそれは[祖母も知っているご近所のお友達の家]だけで、
それ以外のお友達の家に行った時は、
自分で時計を見たり、
お友達の親や祖母に

「そろそろ帰る時間じゃない?」

と、促されて、渋々帰る感じでした。

ある日、私は、隣の町内のお友達の家に遊びに行き、
帰りが大幅に遅くなってしまいました。

お友達と遊ぶのが楽しくて、

 もう少し…

 あと少し・・・

・・・と言ってるうちに遅くなってしまったのです。
あたりはすでに暗く、私は家路を急ぎました。

ところが、家に着き、いつものように玄関の引戸を開けようとしたのですが、
開かないのです。

 今日はもう暗くなっちゃったから、
 泥棒さんが入ると悪いから、閉めたんだな・・・

と、瞬時に判断し、

「ただいまー」

と、大声で言ったり、
ピンポーン!と、チャイムを鳴らしました。

すると、中から祖母の

「はいよー」

と、いう声が。
祖母が開けてくれると思い、待っていたところ、
そこに現れたのは、鬼と化した母親でした。

鬼の角が生えるほど怒りに満ちた母

戸越しとはいえ、
怒りに満ちた物凄い剣幕で怒っている事が、声から伝わり、
私は、サーッと血の気が引いていきました。
戸を開けずに母親は怒鳴りました。

母 「こんな真っ暗になるまで、どこにいたの!」

私 「え・・・、Mちゃんち行ってた・・・」

母 「お母さんもおばあちゃんも、みんな心配したでしょ!

・・・私が5~6才の頃の話なので、詳しくは覚えていませんが、
私はこの後、何か弁解をしたような記憶があります。
でも、母親は聞き入れてくれず、

「そんな悪い子はうちに入れません!」

・・・私は、家の中に入れてもらう事が出来ませんでした。

私は、帰宅が遅くなった段階で

 マズイ事をしてしまった・・・

と、十分思っていました。

 きっと心配してるだろうな・・・

と、いう事も、子どもなりに感じていました。

ある程度、怒られる事は予想していましたが、
予想以上に[罰]は大きく、
その事に、私はまず、最初にとても驚きました。

そして、いつもなら当たり前に入れるはずの家に、
入れなくなったという現実が、大きな衝撃として伝わり、
幼い私に、事の重大さを知らしめた出来事となりました。

私は突然悲しくなり、涙がブワッと出てきました。
そして大声で泣きながら叫びました。

玄関の外で泣きながら訴える少女と、家の中で怒っている母

・・・私が帰る家は、[ここだけ]です。

 もし、このままずっと入れてもらえなかったら、
 どこに行けばいいのだろう?

 また、Mちゃんちに戻ったら入れてもらえるかな?

色んな事を考えながら、私はずっと泣き続けました。

すると戸の向こうから母親が話しかけてきました。

「「ごめんなさい」はっ?!」

まだ、怒りに満ちた声でした。

 謝れば中に入れてもらえる?

と、思った私は、当然謝りました。
ようやく戸が開き、

「ほら、入りなさい!
 いいかね? また同じ事したら、
 今度こそうちに入れないからね!
 分かったねっ!?」

圧のかかった容赦ない声で、
母親は、私に叩きつけるように言い放ちました。

母親の圧力に屈して出来上がった、私の姿とは?

少女の涙をふいてあげる母

このエピソード、
今の令和の時代にやろうものなら[児童相談所]に通報されかねないですが、
昭和時代のご家庭なら、そのような
我が家だけではなかったのではないでしょうか?

保育士をしていたとはいえ、母親も人間です。

保育園の子どもに対しては、そんな事していなかったと思いますが、
自分の子は、話は別。

 より厳しくしつけないと!

と、いう思いからの行動だったと思いますし、
私自身も親になった今、その気持ちはよく理解出来ます。
ですが[された側]にとっては、

 ただただ、怒られて悲しくて怖くて・・・

数十年経った今でも覚えているくらい、
強烈な失敗経験として、いつまでも脳裏に残ってるんです。

私が覚えている、この一番古い[叱られた]記憶。
この出来事から見てとれるように、
母親は怒らせるととても怖かったので、
この出来事をきっかけに、私は
母親に怒られないように行動する事が増えて行きました。

何をするにも

 母親に、怒られないか

 母親に、反対されないか

が、基準になって行ったんです。
そして、それがいつしか
私の[当たり前]になっていきました。

母親は、我が家の色んな決定権を握っている、
そんな存在でもあったので、
私は、よほどイヤな事でない限り

 母親が勧めた体に良いものを、食べたり飲んだりする

 母親に「やっておくと良いよ」と勧められた[習い事]などをやる

…このように、あまり逆らう事なく生きてきました。
自分で言うのも何ですが、私はとても

 手のかからない、扱いやすい子

だったと思います。

ひらめいた表情の母と、険しい表情の少女

と言っても、時には反発する事だってありました。

ですが、口下手な私は、口論では到底敵いません。
口論になると結局私は黙りこみ、
一方的に母親が正論を言う・・・、
…そんな感じで
反発した甲斐なく、いつも丸く収められていました。

私は元々、面倒な事を嫌うタイプでもあるので、
よほど我慢ならない事でない限り、

 私さえ黙って従ってればいい・・・

小さい頃からそうやって、
その場をしのぐ方がラクだった…。
要するに、

 母親と正面から向き合う事から逃げてた

のです。

当然、母親の言いなりになってしまう事は気持ちの良いものではなく、
私は、常に自分の気持ちを[抑えた状態]になるため、
不満が溜まり続ける事は、あきらかでした。

ようやく気づいた、合わない母親への対応方法とは?

いい人の仮面を脱ぎ、疲れた表情の女性

さらに、私はある事に気が付きました。
元々私は、

 人に嫌われる事を、極端に[怖い]と感じる性格

でした。

自分に関わる全ての人に、
嫌われないようにイイ顔をしてしまう[八方美人]な所があったのですが、
それは、母親に対しても同じだったんです。

合わないと感じている人に対し、
その人に合わせてばかりいると、当然

 とても疲れる
 無理をする
 不満が溜まる

このような状態になります。

私は社会人になり、
勤務先の同僚で、母親に似た[合わない]人に何度となく遭遇したのですが、
こっちは、その人とあまり関わりたくないと思っているのに
なぜか好かれて、寄って来られる事があり、
とてもしんどい思いをしました。

苦手な同僚の話をイヤイヤ聞く女性

その時、思ったんです。

 この状況から抜け出すためには、
 私自身が変わらなければならないんだ!

 イイ顔をするのはやめて、相手に

 「私はあなたと距離を置きたい」

 と、気づかせよう!

 何千何億といる、人々全てに好かれようなんて思わなくていいんだ
 嫌いな人や、合わない人がいる事は、
 むしろ当然のこと。
 そう感じる人達にまで、好かれる必要なんてないんだ

…このように思ったんです。
すると、そう思えるようになった途端、
私の中に、ずっと重くのしかかっていた肩の荷スーッ・・・と軽くなったんです。

風船が上っていくイラストと、ホッとした表情の女性

私は、母親に対する口調や態度が変わっていきました。

好かれる必要がないので、
少しだけ、ぶっきらぼうな口調や態度になってしまいましたが、

言いたかった事を、ズバッと言えるようになった

母親のイヤな所を、指摘出来るようになった

やりたくない事は、やらない選択も出来るようになった

このように、とてもラクになれたんです。
繰り返すうち、自分の中にあった母親に対する不満少しずつ減り、

 嫌われても別にいい!
 私は私が正しいと思った道を進むんだ!

と、堂々と生活出来るようになりました。

私が変わったら、母親も変わった!

両手を広げて主張する女性と、焦った表情の母

私が大きく変わった事で、母親も変わりました。

私から、あまり良く思われていないと気づき、
指摘された事はやらないよう、注意するようになったので、
私が嫌悪感を抱いていた
[言葉]や[行動]
は、かなり減り、
カドが取れたように思います。

正論を言う事は、今もまだ時々ありますが、
私が正しいと思う[正反対の非常識な意見]を伝えても、
受け入れてくれるようになりました。

以前は

「そうかしら?そんな事で、この先大丈夫なの?」

と、絶対受け入れなかった人が!…です。

[圧のかかった発言]をする事も激減しましたし、
その言葉や行動からは、
私の意思も尊重してくれてるような姿勢が感じられるほどです。

ただ、いくら母親が良い方向に変わっているとはいえ、
[相性が合わない]事に、変わりはないので、
同居していながらも、話すのは最低限の話のみ。
適度に距離を保ち、接するようにしています。

一緒にいる時間減らせば減らすほど、
お互いのやる事なす事を気にせずにいられて、口論にならないからです。

合わない人対策は、ズバリ

 距離をあけて、接する事

これに尽きます(^^)

洗い物をする女性と、穏やかな表情の母

私は、母親だけでなく、
合わないと感じる同僚に対しても同じように対応し、
相手に[気づかせる]事で、
相手も私との間に、適度な距離を保つようになりました。

一緒にいる時間が、長い相手であればあるほど、
ギスギスしない程度に、
ほどよい距離感が保てれば、お互いラクに過ごせると感じました。

この私の経験談が、
どなたかのラクに生きるヒントになれれば幸いです(^ ^)

この記事を書いた人
こっこ

高校2年と中学3年の息子のママ
専業主婦

2人とも中学生になってすぐ、不登校・登校しぶり・無気力・昼夜逆転など様々な問題が発生

解決するため、たくさん学んで実行
その甲斐あって穏やかな日常を取り戻した今、その経験から得た気づきを、同じように苦しむ全ての方を救うべく惜しみなく発信

プロフィール詳細 

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